ホイアンの日本橋ホイアンはチャンパ王国(2世紀~)の港としてつくられた街で、は16世紀にフエに広南阮氏政権が樹立され、ホイアンを拠点に対外貿易に力を入れたことで国際貿易港として発展をとげ、16世紀以降は中国、日本などアジア諸国に加え、ポルトガル、オランダ、フランスなど欧米諸国からも多くの商人が来航しました。1601年には広南阮氏が徳川家康に書簡を送って正式な国交を求め、江戸幕府との取引が拡大、ホイアンには日本人街が形成され1000人以上の日本人が住んでいたと伝えられます。
江戸幕府による鎖国の後は、中国人街が中心となり繁栄が続きますが、1771年にグエン朝に反乱したタイソンの乱により街は全焼、現在残る街並みは1800年代以降に建設されたものです。

国際貿易港として栄えた街も、地形の変化によりホイアンと海を結ぶトゥボン川に土砂が堆積したこと、船の大型化により川の港であるホイアンに寄港出来なくなったことで(フエのグエン朝に近い海の港ダナンに貿易港が移行)、19世紀末には港の機能は失われ、街も次第に衰退していきました。

その後ホイアンはベトナム戦争の戦火を免れ、開発からも取り残されていたことから、18世紀に建てられた古い街並みはそのまま残されました。
すっかり朽ち果てた街並みでしたが、1983年のベトナム・ポーランド協定による街の保存、1985年ベトナム文化庁による街並みの文化財指定、また1990年ダナンで開催されたホイアン街並み保存を訴える緊急シンポジウムにより、再びホイアンは世界の表舞台に立つことになります。

その後、木造建築の歴史とノウハウを持つ日本に対し、ベトナム政府からの依頼を受け、日本の文化庁、昭和女子大学、千葉大学を中心とする大学研究機関、JICA等の協力により、街の保存に関するプロジェクトが行われました。

日本側のサポート、ベトナム政府研究機関による調査研究とホイアン市民の努力が実を結び、ホイアンは1999年12月に世界遺産に登録されました。

かつての港町は現在はベトナム有数の観光地として現在もその名を残しています。